【第76回 2015.03.09】

 機械の成長を考える

投稿者:松本 浩二(昭和47年工学部機械工学科卒)

 100年前のことは、はるか遠い昔のように感じたものだが、最近はさほどでもなく、その内、約7割は自分も共有している。親の代まで入れると、1世紀の歴史が他人ごとではなくなる。大学を何とか卒業させてもらって就職したのが40数年前。日本のものづくりが加速してゆく時代だが、当時コンピューターは電子計算機と呼ばれていた(現在でも官公庁ではカタカナを嫌うので、そのシステムを電子計算組織というようだ)。当時のコンピューターは文字通り計算ばかりしていて、独身寮で私と同室だった友達は、半分は徹夜勤務で、各職場から依頼された計算を夜中にコンピューターにやらせて、翌朝答えを届ける仕事をしていた。電気製品の熱計算などが主な仕事だったように聞いている。寮は二人部屋だったので、夜は一人きりになれる私は、大変うらやましがられたものである。当時の業務用電子計算機はかなりの大型だったが、処理速度は現在の携帯型パソコンに遠く及ばないことはもちろんである。科学技術の進展において半導体、コンピューターの果たしてきた役割は申し上げるまでもない。その一方で、昔から何ら変わらない仕事や生活との共存において、電子計算機は必ずしもうまくいっていない現実があるのも事実である。

 現在、私は医療機器のメーカーを退職して、製品安全のコンサルティング業務をしている。半分はボランティア活動のようなもので、さまざまな業種の方との研究会活動を通じて、安全な製品の流通を目指している。その中で最近目立つことは、製品やシステムがコンピーターを介して制御されたり、情報分析をしたりしているが、取り扱うシステムが複雑になったり、情報量が膨大になってゆくと設計者自身が歯車のような役割になり、全体としてどのような仕事、役割分担をしているのかわからなくなることである。人の生活を豊かにするはずではなかったのか、気分転換に今一度自分自身に問いかけてみてほしい。

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